社会調査入門|北星学園大学 2026年度後期

第14回(最終回) エスノグラフィの方法と調査事例

質的調査の深みへ——そして14回の旅を振り返る

社会調査入門
北星学園大学 2026年度後期
小野原 彩香

小野原 彩香
社会調査入門|北星学園大学 2026年度後期

本日の目標

  1. エスノグラフィとは何かを定義し、その特徴を説明できる
  2. エスノグラフィの歴史的展開(マリノフスキー→ゲアツ)を概観できる
  3. 現代エスノグラフィの多様な展開(組織・デジタル・オート)を理解する
  4. 授業14回全体を通じた学びを自分の言葉で整理できる
小野原 彩香
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1. エスノグラフィとは何か

語源: ギリシャ語 ethnos(民族・人々)+ graphia(書き記すこと)

「ある集団・文化の社会生活・慣習・価値観を、長期的なフィールドワークを通じて詳細に記述すること」

一言で言うと:
「その人たちの世界に深く入り込み、内側から理解し、書く」

エスノグラフィが答えようとする問い:

  • この集団にとって「当たり前」とは何か?
  • なぜ彼らはそのように行動するのか?
  • 外から見たら奇妙に見えることも、内側では合理的なのか?
小野原 彩香
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人類学的フィールドワークとの関係

エスノグラフィはもともと 文化人類学 の調査方法として発展した

19世紀末〜20世紀初頭:
人類学者が「未知の」社会・文化を記述する方法
   ↓
20世紀中葉以降:
社会学・教育学・看護学・組織論など
多くの分野に広がる
   ↓
現代:
あらゆる集団・組織・コミュニティの研究に応用

重要: 「未知の文化」を調べる方法から、身近な社会の「見えない当たり前」 を発見する方法へと変化した。

小野原 彩香
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2. エスノグラフィの歴史(1)

Bronisław Malinowski(1884–1942)

『西太平洋の航海者』(Argonauts of the Western Pacific, 1922)

  • ニューギニア・トロブリアンド諸島に2年以上滞在
  • 島民の言語を習得し、日常生活に参加して観察
  • 「クラ交換」という複雑な交易制度を記述

方法論的革新:

  • 「安楽椅子人類学」(他者の報告を分析するだけ)からの脱却
  • 現地語習得・長期滞在・直接参与を方法の中核に据えた
  • 「具体的な証拠の精神」と「科学的態度」の強調
小野原 彩香
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エスノグラフィの歴史(2)

Ruth Benedict(1887–1948)

『菊と刀』(The Chrysanthemum and the Sword, 1946)

  • 第二次世界大戦中、米国政府の依頼で日本文化を分析
  • 直接渡航せず、文献・移民インタビューから記述
  • 「恥の文化」vs「罪の文化」という対比概念

注意点:

  • フィールドへの直接参与なしのエスノグラフィとして批判もある
  • 現代的視点からは本質主義的・ステレオタイプ的な側面が指摘される
  • しかし「内側からの理解」という問いの重要性を広めた
小野原 彩香
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エスノグラフィの歴史(3)

Clifford Geertz(1926–2006)

「解釈的人類学」(interpretive anthropology)の確立

  • 代表作:「バリの闘鶏」(1972)『文化の解釈学』所収
  • 文化を「厚い記述(thick description)」によって読み解く

「エスノグラフィーとは、異文化理解の練習ではなく、人間の経験の意味を解釈することである」

「薄い記述」vs「厚い記述」

  • 薄い記述:「男が片目をつむった」
  • 厚い記述:「男がウインクをした——仲間への合図として、冗談の文脈で」
小野原 彩香
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3. エスノグラフィの特徴

3つの組み合わせが基本:

  参与観察
      +
  インタビュー
      +
  資料・文書収集
      ↓
  フィールドノート→分析→記述(エスノグラフィ)

長期性・集中性:

  • 数週間〜数年にわたる継続的なフィールドワーク
  • 「一回限り」ではなく、関係の蓄積の中で理解が深まる
小野原 彩香
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Emic と Etic の視点

視点 説明
Emic(内側からの視点) 対象集団の人々自身の意味枠組み 「カツアゲ」→当事者にとっての意味
Etic(外側からの視点) 研究者・外部者が持ち込む分析枠組み 「恐喝行為」という法的・社会学的概念

エスノグラフィの目標:

  • まず Emic の視点を丁寧に捉える
  • そのうえで Etic の分析枠組みと対話させる
  • 二つの視点の往復運動が理解を深める
小野原 彩香
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4. 現代のエスノグラフィ(1)

組織エスノグラフィ(Organizational Ethnography)

対象: 企業・病院・学校・官庁などの組織

事例:

  • 病院の看護師間の「申し送り」文化の観察
  • 製造業の工場フロアにおける非公式な知識伝達
  • 学校における教師の日常的意思決定の観察

特徴:

  • 「組織の公式な姿」ではなく「実際の働き方」を記述する
  • ゲートキーパー(管理職等)との交渉が不可欠
小野原 彩香
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現代のエスノグラフィ(2)

デジタルエスノグラフィ・ネットノグラフィ(Netnography)

定義: オンラインコミュニティ・SNS・フォーラム等を対象とした参与観察的研究

Kozinets, R.V. (2010) が体系化した方法論

事例:

  • オンラインゲームコミュニティの文化研究
  • Twitter/X における社会運動の展開の観察
  • 匿名掲示板における集合的意味生成の分析

倫理的課題: 公開情報でも「観察されている」意識の欠如、スクリーンショットの扱い等

小野原 彩香
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現代のエスノグラフィ(3)

オートエスノグラフィ(Autoethnography)

定義: 研究者自身の経験を「データ」として、文化・社会との関係を記述・分析する方法

代表的な問い:

  • 在日外国人研究者が「よそ者」として日本社会を経験する
  • 慢性疾患を持つ研究者が医療制度の内側から記述する
  • 移民第一世代が「故郷」と「新天地」の間で経験するアイデンティティ

批判と評価:

  • 主観性・一般化可能性への批判
  • 一方で「当事者性」から見えるものの価値が再評価されている
小野原 彩香
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5. エスノグラフィの倫理

長期的関与がもたらす特有の問題

関係性の問題:

  • フィールドを「立ち去る」ことの倫理
  • インフォーマント(情報提供者)との個人的関係と研究の分離
  • 「友人」として接した人を「データ」として書くことの緊張

代表性と権力の問題:

  • 誰の声を代表するのか?
  • 研究者と対象集団の権力差(知識人 vs 周縁化されたコミュニティ等)

「返還(giving back)」:

  • 研究成果をフィールドに還元する責任
小野原 彩香
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6. エスノグラフィの実例(日本の研究)

佐藤郁哉(1984)
『暴走族のエスノグラフィー』新曜社
→ 暴走族コミュニティへの参与観察。日本の社会学的エスノグラフィの代表作

中根千枝(1967)
『タテ社会の人間関係』講談社現代新書
→ 日本の組織文化を「タテ社会」として記述。エスノグラフィ的感性に基づく古典

岸政彦(2015)
『断片的なものの社会学』朝日出版社
→ インタビュー・観察から積み上げた「ライフストーリー」的エスノグラフィ

小野原 彩香
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7. 授業全体の総括:14回で描いた「社会調査の地図」

テーマ 位置づけ
1–2回 社会調査とは何か/社会調査の歴史 出発点
3回 ステップと倫理 全方法に横断する原則
4回 目的と分類(記述・説明・探索・評価/横断・縦断) 調査を設計する
5–6回 公的統計の利用/市場調査 すでにあるデータを使う
7–8回 先行研究の調査/資料・文献調査 誰かが答えていないか調べる
9回 質的研究と量的研究 2つの道の分かれ目
10–11回 全数調査と標本調査/アンケート調査 量的調査の実践
12–13回 インタビュー調査/観察法 質的調査の実践
14回 エスノグラフィ 参与観察を発展させた記述
小野原 彩香
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「社会調査の問い」の全体像

どんな問いか?
  │
  ├─ 仮説検証型(量的)→ 質問紙・統計
  │        「どのくらい?」「どんな傾向?」
  │
  └─ 意味探索型(質的)→ インタビュー・観察・エスノグラフィ
           「なぜ?」「どのような意味で?」「当事者にとって?」

倫理は全方法に横断する原則

この授業で最も伝えたかったこと:

「社会を調べることは、人間への敬意から始まり、人間への敬意で終わる」

小野原 彩香
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8. 最終振り返り課題

「自分が実施してみたい社会調査の企画書」

この授業全体で学んだことをもとに、あなた自身が設計する社会調査の企画書 を作成してください。

記載すべき内容(400〜600字):

  1. 調査テーマと研究の問い(あなたが明らかにしたい社会的事象は何か)
  2. 採用する調査方法とその理由(量的/質的、インタビュー/観察/エスノグラフィ等から選択し、なぜその方法が適しているかを説明する)
  3. 調査対象と調査の進め方(誰を・どこで・どのように調べるか)
  4. 倫理的配慮(インフォームドコンセント・プライバシー保護・データ管理等について具体的に述べる)

提出期限: 2026年○月○日(シラバス参照)
提出方法: manaba のレポート提出から

小野原 彩香
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この授業を終えるにあたって

社会調査を学ぶことは、世界の見方を変えること です。

  • 「数字」の裏にある人々の生活が見えるようになる
  • 「常識」や「当たり前」を問い直すための道具を手に入れる
  • 他者の経験に丁寧に耳を傾け、記録し、伝える技術を磨く

調査方法は「道具」にすぎません。
大切なのは、その道具を 誠実に・倫理的に・創造的に 使うことです。

皆さんが社会を調べる旅の第一歩を踏み出してくれることを願っています。

1学期間、ありがとうございました。

小野原 彩香
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参考文献(本日使用)

  • Malinowski, B. (1922). Argonauts of the Western Pacific. Routledge.
  • Benedict, R. (1946). The Chrysanthemum and the Sword. Houghton Mifflin.
  • Geertz, C. (1973). The Interpretation of Cultures. Basic Books.
  • Kozinets, R.V. (2010). Netnography. Sage.
  • 佐藤郁哉(1984)『暴走族のエスノグラフィー』新曜社
  • 岸政彦(2015)『断片的なものの社会学』朝日出版社
小野原 彩香