第14回 エスノグラフィの方法と調査事例¶
1/19(火)Ⅴ講 16:40〜18:20・A301教室
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この回の問い¶
外から見れば奇妙に見えることが、内側では合理的でありうる。それをどう書けばよいのか。
到達目標¶
- エスノグラフィとは何かを定義し、その特徴を説明できる
- エスノグラフィの歴史的展開(マリノフスキー → ギアーツ)を概観できる
- 現代エスノグラフィの多様な展開(組織・デジタル・オート)を理解する
- 授業14回全体を通じた学びを自分の言葉で整理できる
要点¶
エスノグラフィとは何か¶
語源はギリシャ語の ethnos(民族・人々)+ graphia(書き記すこと)。
ある集団・文化の社会生活・慣習・価値観を、長期的なフィールドワークを通じて詳細に記述すること。
一言でいえば「その人たちの世界に深く入り込み、内側から理解し、書く」ことである。エスノグラフィが答えようとするのは、この集団にとって「当たり前」とは何か、なぜ彼らはそのように行動するのか、外から見たら奇妙に見えることも内側では合理的なのか、という問いである。
もともとは文化人類学の調査方法として発展し、20世紀中葉以降、社会学・教育学・看護学・組織論へと広がった。重要なのはその過程で性格が変わったことである ―― 「未知の文化」を調べる方法から、身近な社会の「見えない当たり前」を発見する方法へ。
3人の名前¶
Bronisław Malinowski(1884–1942)『西太平洋の航海者』(1922) トロブリアンド諸島に2年以上滞在し、島民の言語を習得して日常生活に参加、「クラ交換」という交易制度を記述した。「安楽椅子人類学」(他者の報告を分析するだけ)からの脱却を果たし、現地語習得・長期滞在・直接参与を方法の中核に据えた。
Ruth Benedict(1887–1948)『菊と刀』(1946) 第二次世界大戦中に米国政府の依頼で日本文化を分析し、「恥の文化」対「罪の文化」という対比概念を示した。ただし直接渡航せず、文献と移民へのインタビューから記述した点で、フィールドへの直接参与を欠くエスノグラフィとして批判もある。現代の視点からは本質主義的・ステレオタイプ的な側面が指摘される。それでも「内側からの理解」という問いの重要性を広めた。
Clifford Geertz(1926–2006)「バリの闘鶏」(1972) 文化を厚い記述(thick description)によって読み解く「解釈的人類学」を確立した(→ 第9回)。
「エスノグラフィーとは、異文化理解の練習ではなく、人間の経験の意味を解釈することである」
方法としての特徴¶
参与観察 + インタビュー + 資料・文書収集
↓
フィールドノート → 分析 → 記述(エスノグラフィ)
数週間から数年にわたる継続的なフィールドワークが前提になる。一回限りではなく、関係の蓄積のなかで理解が深まる。
Emic と Etic¶
| 視点 | 説明 |
|---|---|
| Emic(内側からの視点) | 対象集団の人々自身の意味枠組み |
| Etic(外側からの視点) | 研究者・外部者が持ち込む分析枠組み |
エスノグラフィの目標は、まず Emic の視点を丁寧に捉え、そのうえで Etic の分析枠組みと対話させることにある。二つの視点の往復運動が理解を深める。
現代のエスノグラフィ¶
組織エスノグラフィ … 企業・病院・学校・官庁が対象。看護師間の「申し送り」文化、工場フロアの非公式な知識伝達、教師の日常的意思決定など。組織の公式な姿ではなく「実際の働き方」を記述する。ゲートキーパー(管理職等)との交渉が不可欠になる(→ 第13回)。
デジタルエスノグラフィ/ネットノグラフィ … オンラインコミュニティ・SNS・フォーラムを対象とした参与観察的研究。Kozinets(2010)が体系化した。倫理的課題として、公開情報であっても「観察されている」という意識が当事者にないこと、スクリーンショットの扱いなどがある。
オートエスノグラフィ … 研究者自身の経験をデータとして、文化・社会との関係を記述・分析する。主観性・一般化可能性への批判がある一方、当事者性から見えるものの価値が再評価されている。
エスノグラフィの倫理 ―― 長く関わるがゆえの問題¶
- 関係性の問題 … フィールドを「立ち去る」ことの倫理。インフォーマントとの個人的関係と研究の分離。「友人」として接した人を「データ」として書くことの緊張
- 代表性と権力の問題 … 誰の声を代表するのか。研究者と対象集団のあいだの権力差
- 返還(giving back) … 研究成果をフィールドに還元する責任
日本の実例¶
- 佐藤郁哉(1984)『暴走族のエスノグラフィー』新曜社 ―― 参与観察による日本の社会学的エスノグラフィの代表作
- 中根千枝(1967)『タテ社会の人間関係』講談社現代新書 ―― 日本の組織文化を記述した古典
- 岸政彦(2015)『断片的なものの社会学』朝日出版社 ―― インタビュー・観察から積み上げたライフストーリー的エスノグラフィ
14回で描いた「社会調査の地図」¶
| 回 | テーマ | この授業での位置 |
|---|---|---|
| 1 | オリエンテーション | 社会調査とは何か |
| 2 | 社会調査の歴史 | どこから来た方法なのか |
| 3 | ステップと倫理 | 全方法に横断する原則 |
| 4 | 目的と分類 | 目的×時間軸で調査を設計する |
| 5 | 公的統計の利用 | すでにあるデータを使う |
| 6 | 市場調査 | 学術以外の調査の世界 |
| 7 | 先行研究の調査 | 誰かがすでに答えていないか |
| 8 | 資料・文献調査 | 一次資料にたどり着く |
| 9 | 質的研究と量的研究 | 2つの道の分かれ目 |
| 10 | 全数調査と標本調査 | 量的調査の土台 ―― 誰を選ぶか |
| 11 | アンケート調査 | 量的調査の実践 ―― どう聞くか |
| 12 | インタビュー調査 | 質的調査の実践 ―― どう聴くか |
| 13 | 観察法 | 質的調査の実践 ―― どう見るか |
| 14 | エスノグラフィ | 参与観察を発展させた記述の方法 |
どんな問いか?
├─ 仮説検証型(量的)→ 質問紙・統計
│ 「どのくらい?」「どんな傾向?」
└─ 意味探索型(質的)→ インタビュー・観察・エスノグラフィ
「なぜ?」「どのような意味で?」「当事者にとって?」
倫理は、そのすべてに横断する原則である。
社会を調べることは、人間への敬意から始まり、人間への敬意で終わる。
今日の課題(Moodle提出)¶
提出期限:次回授業の開始前まで
最終振り返り課題:「自分が実施してみたい社会調査の企画書」 分量:400〜600字
この授業全体で学んだことをもとに、自分自身が設計する社会調査の企画書を作成すること。
- 調査テーマと研究の問い … 明らかにしたい社会的事象は何か
- 採用する調査方法とその理由 … 量的/質的、インタビュー/観察/エスノグラフィ等から選択し、なぜその方法が適しているかを説明する
- 調査対象と調査の進め方 … 誰を・どこで・どのように調べるか
- 倫理的配慮 … インフォームドコンセント・プライバシー保護・データ管理等について具体的に述べる
評価の観点
方法の名前を挙げることではなく、問いと方法が噛み合っているか、そして倫理的配慮が具体的かを見る。
この回のまとめ¶
- エスノグラフィ:長期的フィールドワークを通じて、集団の「当たり前」を内側から記述する
- マリノフスキー(長期滞在・現地語)→ ベネディクト(遠隔からの記述と批判)→ ギアーツ(厚い記述)
- Emic と Etic の往復運動が理解を深める
- 現代では組織・デジタル・オートエスノグラフィへ展開している
- 長期的関与ゆえに、立ち去ることの倫理・権力差・返還という固有の問題を抱える
- 14回を通じて、問いの性質が方法を決めること、そして倫理がすべてに横断することを学んだ
参考文献¶
テーマ:エスノグラフィの方法と調査事例(授業最終回)¶
1. 入門書・教科書(社会調査の基礎として)¶
大谷信介・木下栄二・后藤範章・小松洋(編)(2013) 『新・社会調査へのアプローチ——論理と方法』ミネルヴァ書房
本授業全体を通じて参照してきた定番教科書。観察法・エスノグラフィを含む質的・量的調査のすべてをカバー。復習の際はまずここへ。
谷富夫・山本努(編)(2010) 『よくわかる質的社会調査——技法編』ミネルヴァ書房
質的調査の技法を分かりやすく説明。エスノグラフィの基礎概念の整理にも役立つ。
小田博志(2010) 『エスノグラフィー入門——<現場>を質的研究する』春秋社
エスノグラフィーとは何かを理論と実践の両面から解説した日本語入門書。本授業の第13・14回を補完する最良の一冊。
佐藤郁哉(2002) 『フィールドワークの技法——問いを育てる、仮説をきたえる』新曜社
フィールドワーク全般の方法論を実践的に解説。エスノグラフィを実際にやってみたい人への必読書。
矢野善郎・吉田甲子郎(編)(2014) 『質的研究の方法——理論と実践』ナカニシヤ出版
質的研究の哲学的背景から実践まで幅広く解説。エスノグラフィの位置づけを体系的に理解したい人に。
2. エスノグラフィに関連する古典的名著¶
Malinowski, B. (1922) Argonauts of the Western Pacific. Routledge. (邦訳)増田義郎訳(2010)『西太平洋の航海者』講談社学術文庫
近代エスノグラフィの礎を築いた人類学の古典。トロブリアンド諸島の「クラ交換」の記述は、長期フィールドワークの可能性を世界に示した。
Benedict, R. (1946) The Chrysanthemum and the Sword. Houghton Mifflin. (邦訳)長谷川松治訳(2013)『菊と刀』講談社学術文庫
日本文化論の古典。現代的視点からの批判的読解も含め、エスノグラフィが持つ解釈の力と限界を考えるうえで有益。
Geertz, C. (1973) The Interpretation of Cultures. Basic Books. (邦訳)吉田禎吾ほか訳(1987)『文化の解釈学』岩波書店
「厚い記述(thick description)」概念を確立した解釈人類学の金字塔。エスノグラフィの理論的基盤を知るために不可欠。
Whyte, W.F. (1943) Street Corner Society. University of Chicago Press. (邦訳)奥田道大・有里典三訳(2000)『ストリート・コーナー・ソサエティ』有斐閣
都市の下層コミュニティへの参与観察の古典。社会学的エスノグラフィの模範として今も読み継がれる。
3. 現代エスノグラフィに関する文献¶
Kozinets, R.V. (2010) Netnography: Doing Ethnographic Research Online. Sage. (邦訳)水野誠監訳(2021)『ネットノグラフィー』碩学舎
オンラインコミュニティを対象とするエスノグラフィ「ネットノグラフィー」を体系的に論じた先駆的著作。デジタル社会の調査を学ぶ必読書。
Ellis, C., Adams, T.E., & Bochner, A.P. (2011) "Autoethnography: An Overview." Forum: Qualitative Social Research, 12(1).
オートエスノグラフィの理論・実践・批判を整理したレビュー論文。無料アクセス可。 URL: https://www.qualitative-research.net/index.php/fqs/article/view/1589
Ybema, S., Yanow, D., Wels, H., & Kamsteeg, F. (Eds.) (2009) Organizational Ethnography: Studying the Complexity of Everyday Life. Sage.
組織エスノグラフィの方法論・事例を集めた論集。企業・病院・行政を対象とした研究に関心がある人に。
4. 日本のエスノグラフィ研究の代表作¶
佐藤郁哉(1984) 『暴走族のエスノグラフィー——モードの叛乱と文化』新曜社
日本の社会学的エスノグラフィの代表作。若者コミュニティへの参与観察を通じて、逸脱文化の内側を描いた。
中根千枝(1967) 『タテ社会の人間関係——単一社会の理論』講談社現代新書
日本の集団・組織文化を「タテ社会」として記述した古典。エスノグラフィ的感性に基づく文化論として今も参照される。
岸政彦(2015) 『断片的なものの社会学』朝日出版社
インタビューと観察から積み上げた現代社会の記述。「社会学的記述」の魅力を一般読者に伝える名著。難解さなく、社会調査入門の最後に読むのに最適。
村上靖彦(2013) 『摘便とお花見——看護の語りの現象学』医学書院
看護師へのインタビューとフィールドワークから、ケアの意味を深く記述した現象学的エスノグラフィ。
5. ウェブリソース¶
Forum: Qualitative Social Research(FQS)——英語・査読誌・無料公開 https://www.qualitative-research.net/
質的研究方法論の国際的な査読誌。エスノグラフィ・ネットノグラフィ・オートエスノグラフィに関する論文を多数収録。
日本質的心理学会 https://www.jaqp.jp/
日本語での質的研究に関する学術コミュニティ。エスノグラフィを含む質的研究の最新動向を把握するために。
国立民族学博物館(みんぱく)——フィールドワーク資料 https://www.minpaku.ac.jp/
文化人類学・民族学の研究資料を公開。エスノグラフィの歴史的基盤を学ぶための充実したリソース。
The SAGE Handbook of Qualitative Research(英語) https://us.sagepub.com/en-us/nam/the-sage-handbook-of-qualitative-research/book242504
質的研究の包括的ハンドブック。エスノグラフィの章は特に充実。大学図書館で確認を。
6. 授業全体を通じたさらなる学習のために¶
この授業(第1〜14回)で触れた内容を深めたい方へ、分野別の発展的文献リストを示します。
社会調査の方法論・哲学的基礎¶
Creswell, J.W. (2013) Qualitative Inquiry and Research Design: Choosing Among Five Approaches, 3rd ed. Sage. (邦訳)堀洋道監訳(2021)『質的研究のデザイン——五つのアプローチ』北大路書房
ナラティブ・現象学・グラウンデッドセオリー・エスノグラフィ・ケーススタディの5つを体系的に比較。卒業研究・大学院を目指す人の指針になる。
Morgan, D.L. (2014) Integrating Qualitative and Quantitative Methods. Sage.
量的・質的方法の統合(混合研究法)を丁寧に解説。本授業で学んだ両方の方法を組み合わせる方向性を学べる。
統計・量的分析のさらなる学習¶
田中豊・脇本和昌(1983) 『多変量統計解析法』現代数学社
社会調査の量的分析を本格的に学びたい人へ。
Agresti, A. & Finlay, B. (2009) Statistical Methods for the Social Sciences, 4th ed. Pearson.
社会科学向けの統計分析の標準テキスト(英語)。量的調査の方法論的深みを追求したい人に。
調査倫理・研究倫理のさらなる学習¶
Beauchamp, T.L. & Childress, J.F. (2019) Principles of Biomedical Ethics, 8th ed. Oxford University Press. (邦訳)立木教夫・足立智孝監訳(2009)『生命医学倫理』麗澤大学出版会
研究倫理の基礎概念(自律・善行・無危害・公正)の古典。社会調査倫理の思想的背景を理解するうえで重要。
仙台市医師会「研究倫理の手引き」(ウェブ)
実際の研究倫理審査の実務を知るために参照できる。
質的データの分析方法¶
木下康仁(2003) 『グラウンデッド・セオリー・アプローチの実践——質的研究への誘い』弘文堂
M-GTAを用いた質的データ分析の方法を実践的に解説。インタビュー・観察データの分析に直接活かせる。
Braun, V. & Clarke, V. (2006) "Using Thematic Analysis in Psychology." Qualitative Research in Psychology, 3(2), 77-101.
テーマティック・アナリシス(主題分析)の方法論論文。無料公開。質的データの分析方法をシンプルに学べる。
この授業の「その先」:大学院・研究への道¶
Flick, U. (2018) An Introduction to Qualitative Research, 6th ed. Sage. (邦訳)小田博志ほか訳(2011)『新版 質的研究入門——<人間の科学>のための方法論』春秋社
質的研究の全体像を深く学ぶための標準的テキスト。大学院レベルでも使用される。
岸政彦・石岡丈昇・丸山里美(2016) 『質的社会調査の方法——他者の合理性の理解社会学』有斐閣ストゥディア
現代日本の社会調査実践から質的方法を学ぶ。読みやすく、「調査の倫理」を繰り返し考えさせる構成。